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小惑星探査機「はやぶさ」紀行   元JAXA杉尾晃正氏

OWO会員及び関係者の皆様

平素は、OWO会員の皆様にはお世話になり、関係者の皆様にはご指導ご支援いただきましてありがとうございます。

さて今年に入り大きく報道された三菱航空機(株)新型民間ジェット旅客機「MSJ」が再びアメリカ連邦航空局(FAA)の型式証明が、今年の取得が難しくなったことを、皆様はどのように受け止められましたでしょうか? 初めは「MRJ」の名前で製造に入られた名前を変更してまで、「MSJ」製造にかかわられている皆様方のご苦労は必ず報われると信じております。

『今せねば何時する。自分がやらねば誰がする。』

という言葉があります。いずれ「MSJ」が量産になるとき、三菱重工業(株)様の要望にお応えできるよう、それに備えて、この言葉の通りOWOの皆様は今年も着々と初志貫徹の気概で、自分の使命を全うしていただくことを切に期待します。

ここに米国と我が国を比較した先の大戦後の民間ジェット旅客機開発の歴史をたどり、添付の2017年11月大阪にお見えになったことを機会にOWOセミナーでご講演頂いた元JAXA杉尾氏から、この度OWOへ公開頂いた紀行文のわくわくするような内容をご覧いただいて、なるほど私の言うとおりだと共感いただきますことをお祈りいたします。

1. 米国は先の大戦後、我が国の航空機産業の兄貴分ともいうべき、ボーイング社ではジェット旅客機として初のB707が1958年に路線就航。

以来、B737は1969年の初飛行その後、再々改造・改良を加えてB737第4世代となる最新機のはずのB737MAXは、2017年運用開始後、2回の墜落事故によってFAAから飛行停止を命じられ本年1月には生産停止になっている。

2. 我が国は、ボーイング社に機体製造分担を担うパートナーと認められB767の初飛行1981年を前にして「Tier 1」として参加して本格的な民間ジェット旅客製造にかかわることができた。

その後、不幸な1985年8月の通称ジャンボジェットと言われたB747機が御巣鷹山への墜落事故によって我が国の多くの人々の犠牲が、日米はより一層深く航空機製造にかかわるノウハウを共有するようになった。そして1985年にはすでに基本設計に入っていたB777は、1994年初飛行・1995年運用開始となった。日本の製造分担部位はB767の15%からB777では21%となり日本の三菱重工業(株)様をはじめ航空機製造各社はボーイング社からworking togetherと尊重された。更に2009年初飛行・2011年運用開始されたB787では更に日本の分担部位は増えて35%となり、OWO特別会員東レ(株)様の製造する炭素繊維入り強化プラスチックの構造材料は機体全体の使用比率で50%となっている。

3. 以上にように、日米の民間ジェット旅客機の製造を歴史を見れば、米国特にボーイング社は兄貴分であることは明らかである。同様に宇宙開発における歴史も米国は宇宙用ロケットの打ち上げ計画は1940年代から始まったといわれているが、アポロ計画で1969年有人月着陸船が着陸後、アメリカの宇宙飛行士が月面を歩いた映像は夢を見ている思いをした。1986年チャレンジャーに続いて2003年コロンビア号のスペースシャトル墜落事故は今活躍している国際宇宙ステーション(ISS)計画も危ぶまれた時期もあった。

この米国の宇宙計画を学びながら我が国が、独自の境地を開いてきた快挙を杉尾氏の論文をご覧いただいて、その詳細をご理解ください。

どうぞ、OWO会員の皆様がお元気で益々のご活躍と、OWO顧問榊先生そしてOWO会長日裏様をはじめOWO関係者の皆様の変わらぬご指導・ご支援をお願い申し上げます。

OWO代表理事(事務代行) 田中弘一:株式会社SDC田中 取締役会長 杉尾氏のレポートは次のURLをクリックしてご覧ください。



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